由布といえば湯布院を思い浮かべるだろうか。
風情ある温泉街に由布岳を始めとする、
豊かな山々に囲まれた町だ。
市内にはこうした自然が溢れ、
旅人たちを虜にしてきた絶景が点在する。
なかでも由布川は美しい峡谷と涼しげなせせらぎを
楽しめる国内でも有数の絶景地だ。
「東洋のチロル」とも呼ばれる大分県の名勝は
果たして、どんな景色を見せてくれるのだろうか。
Text:Ryo Kawakami(YAMAKO)
Photo:Masahiro Kojima
由布川峡谷に下りるにはいくつかの入り口があるが、今回は「椿入口」から峡谷へ向かった。勾配のある階段を下り始めると、すぐに自然の息吹を感じる。緑に囲まれた道を通ると、遠くにサーっと川の流れる涼しげな音が聞こえてくる。見上げた木々の隙間から差し込む陽の光は峡谷までの道を明るく照らし、小鳥のさえずりがどこからともなく聞こえてくる。そんな自然の協奏曲を聴きながら歩みを進めていくと、間もなく峡谷がその姿を現した。
木々の隙間から見える峡谷の一部が、期待を膨らませる
事前に写真などで調べていたものの、正直写真ではそのスケールが伝わらないだろう。とにかく素晴らしい景色だった。切り立った断崖は最大高さ60メートルにも及ぶ深く浸食された峡谷だ。陽の光によって生み出される岩肌のコントラストはまさに自然が生み出したアートの域。滑らかに削られた断崖は、龍のごとく緩やかな曲線を描きながら天へと続いていく。想像以上の美しさに、圧倒されしばし言葉を失った。そして奥に待ち受ける、まだ見ぬ峡谷風景への期待も膨らんでいく。
凄まじい断崖の高さに、ただただ圧倒される。
峡谷の沢歩きはまるでアドベンチャーだった。歩きやすいルートを選びながらゆっくり一歩ずつ進んで行くのだが、水の流れが強いところでは水面下の様子は全くわからない。足先で深さを確かめながらひとつずつ難所をクリアしていくのだが、滑りやすい岩もあり、手や足をかける場所の選択は判断力が試される。敢えて難しい道に挑めば、当然体力の消耗もそれに比例する。無理なルートやスピードで進めば足を滑らすこともある。そんな峡谷の洗礼を受けながらも着実に歩いていった。
水の冷たさが気持ち良い。足元を確かめながら渓流を登っていく。
沢を歩いていると、あちこちで美しい自然の風景に気づかされる。岩にこびりついた苔や、小さな花、いつからあるのかわからない流木に、天から峡谷に降り注ぐ幻想的な陽光の筋。次から次へと移り変わる光景は常に峡谷という岩壁に囲まれた空間の中だけで広がっている。情報を遮断されているからこそ、いつもよりも余計に五感が働いているのだろうか。断崖の上から流れ落ちる名もなき滝、さらに稚魚が沢を泳いでいたり、蛙が姿を現したり、峡谷は常に冒険者たちを飽きさせない。
峡谷という隔絶された世界に、幾つもの景色が潜んでいる。
曲がりくねった道を越えると、突如静まり返った空間が現れた。それまで聞こえていた川の音も流れも一切ない、静寂に包まれた神秘的な景色が広がっていた。振り返れば確かにこれまでの道があるのだが、あまりの静けさにまるで別の場所に来てしまったかのような錯覚すら覚える。流れのない水に足を入れ、また一歩一歩進んで行く。すると腰まで水に浸かる深さに一瞬驚いたが、この自然の造形美と一体になったような不思議な感覚に、いつしか心地よさを感じるまでになっていた。水をかく音と揺れる水の波紋が静寂の世界に響き渡る。
由布川峡谷は緩やかなカーブを描いているため、ある程度進まないと先の様子はわからない。しかし、その“わからない”ところに由布川峡谷のおもしろさはある。進むにつれ少しずつ景色が変わっていき、あの先にはなにがあるんだろうと、冒険心をくすぐられる。徐々に道幅は狭くなり、巨大な岩がゴロゴロある場所も。もちろん帰りはもと来た道を戻っていくのだが、沢を下るため、これが行きとはまるで別のコースを歩いているようにも感じるのだ。
峡谷に挟まれた、奇跡の石チェックストーン。
道の先には巨大な岩もゴロゴロある。
沢登りを終えると、いつの間にか空腹であることに気付かされた。どうせ食事を摂るのなら景色の良いところで食べたいもの。湯布院の金鱗湖の北側に位置する「ゆふいん金鱗湖美術館」の中にある「Cafe La Ruche(カフェ・ラ・リューシュ)」は、美しい湖と由布の山々を眺められる抜群のロケーションだ。落ち着いた店内から景色を眺めていると、峡谷の疲れも忘れてしまうほど。濃厚な食材の旨味を引き出した料理を味わいながら、由布の自然に魅せられていく。
黒豚ベーコンとしいたけのクリームパスタ
金鱗湖が美しく見えるテラス席
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由布川の大自然に触れる体験。
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由布岳を望む、湯布院の街並み。
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峡谷に広がる幻想的な風景。
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吊り橋から峡谷を見下ろすこともできる。
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由布川付近はのどかな棚田が広がっている。
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湯布院で見つけた癒しの一コマ。
国内旅行において“温泉”は
旅の目的の大半を占めることもあるだろう。
国内でダントツの源泉数と湧出量を誇る大分県。
別府市内だけで2000を超える源泉が存在するという。
これだけの源泉数を誇る町は、
国内のみならず、世界でも他に類を見ない。
それ故、多様な温泉が町中に点在しているのだ。
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」
地獄めぐりや温泉マークを考案した油屋熊八氏の言葉の通り、
別府を知らずして温泉は語れない。
兎にも角にも、まずは温泉づくしの旅にでかけようではないか。
Text:Ryo Kawakami(YAMAKO)
Photo:Masahiro Kojima
温泉を愉しむうえで重視することはなんだろうか。泉質や雰囲気など人それぞれで好みは分かれるところだが、なかでも眺望に重きを置く人は多いはずだ。別府観海寺の高台にある「杉乃井ホテル」はその期待に大いに応えてくれる。温泉を利用したプールや噴水ショーなど、アミューズメント性の高い面を持ちながらも、大露天風呂「棚湯」から見下ろす眺望は別府市内でも指折りの景色だ。棚田のごとく段状に設けられた露天風呂から眺める街並みは、朝や夕方で表情が一変する。五段目に設けられた“寝湯”に寝そべれば一層開放感を味わえるだろう。
海抜200メートルの高台から見下ろす観海寺の街並み。
別府の温泉を愉しむのなら代名詞でもある、個性的な名物温泉にも立ち寄りたいところ。「別府温泉保養ランド」もその一つ。紺屋地獄という高温の温泉をそのまま使った“泥湯”が特徴で、この日もたくさんの人で賑わっていた。お世辞にも整備が行き届いているわけではないが、そこがこの温泉の独特の雰囲気を醸し出しているとも言えるだろう。また男湯と女湯は分かれているのは室内のみで、露天の湯船は竹の棒を隔てただけのなんとも開放的な温泉だ。泥湯は新陳代謝を高めてくれる上、保温効果もあるので肌や顔に塗るとその効果を実感できるだろう。
ひっそりとした山間の湯けむりに包まれた泥の温泉。
さて、個性的な温泉と言えば忘れてはならないのが「ひょうたん温泉」だ。もともと創業者が豊臣秀吉が好きだったことから、旗印である「千成瓢箪(せんなりひょうたん)」が名前の由来とあって、館内では所々にあるひょうたんから温泉が注がれている。食事処や家族風呂など、ほとんどここだけでも別府を楽しめてしまうほど充実した施設だ。昔ながらの落ち着きのある温泉のほかに、蒸し湯や歩行湯など個性的な温泉がたくさんあるが、このひょうたん温泉の最大の特徴は頭上に設置された19本もの筒から湯が注がれる圧巻の“瀧湯”である。
ひょうたん温泉だけでも湯めぐりができるほど。
創業は大正11年。昔ながらの湯治場の雰囲気を残した温泉場。
瀧湯の扉を開けると等間隔に設置された19本の筒から、緩やかにカーブを描きながら一斉に湯が注ぎ出されているのが目に入る。しかし約3メートルもの高さから注がれるお湯を一体どのように浴びれば良いのだろうか。後から入ってきた客の様子を静かに見ていると、なんとダイレクトに頭に浴びているではないか。いやはや、なんとも潔い。肩や背中にダイレクトにあてるとその威力の強さがわかる。瀧下で寝そべる強者もいたが、こうしたオリジナルの湯浴みを考えてみるのも“瀧湯”の愉しみ方かもしれない。
旅先では、ご当地ならではの食文化に触れたいもの。ここ別府では温泉の蒸気を利用して食材を蒸す“地獄蒸し”という独特の料理方法がある。「地獄蒸し工房 鉄輪」では、その地獄蒸し体験ができるのだ。食べたい食材を選んだら、スタッフの丁寧なレクチャーのもと自ら蒸し器に食材を入れていく。蓋を開けた時の強烈な蒸気の勢いに圧倒されながらも、食材ごとの蒸し具合を見ながらできあがりをじっくりと待つ。鉄輪温泉には塩分が含まれており、その蒸気で蒸すことで味わいも変わってくるのだという。仕入れ状況によっては、通常メニューにない味覚が味わえることもあるので、その時の気分でいろいろと試したい。
鉄輪温泉の塩分が、野菜の旨みを引き立たせる。
温泉をもっと直に感じるなら“砂湯”がうってつけだ。別府市内にある竹瓦小路アーケードの外れにある「竹瓦温泉」は、昭和13年(1938)に建設されたもので正面は唐破風造(からはふづくり)の豪華な屋根をもつ温泉である。まるでそこだけ時が止まっているかのように、当時の建物の姿そのままだ。天井の高いロビーは昭和初期の趣きが残され、そこにいるだけでノスタルジックな当時の雰囲気を感じることができるだろう。砂湯用の浴衣に袖を通して、いざ砂湯の扉を開けると床いっぱいに敷き詰められた砂をならしながら「どうぞ〜」と、“砂かけ係”がにこやかに迎えてくれた。
昭和初期の風情ある雰囲気が現代にも残されている。
砂をかける彼女たちの手際の良さは見事なものだった。多い時には8人もの客にたった2人で砂をかけ続けるというから、実に力を使う仕事である。加えてここは摂氏40度の空間だ。如何に熟練した技術が必要か想像に難しくない。その姿もさることながら、かけられる砂の重さにも驚かされた。砂が敷き詰められた床には湯を張れるようになっており、そのため直前まで砂が温泉を吸っている分、重さも増すという。なるほど、砂に埋まっているだけにも関わらず温泉に浸かっているような感覚があるのはそのためか。3分もすれば首元までしっかりと埋められた体中から汗がふき出してくる。10分後に体を砂から出したときは、まるで湯から上がるような感覚だった。
温泉で温められた砂を、お腹から足、肩に手際よくかけてくれる。
「暑さはもう慣れっこ」と、笑顔で語る砂かけ係の方たち。
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天然の泥は新陳代謝を高めてくれる。
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竹瓦温泉の砂湯への入り口。
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鉄輪温泉街では至る所から蒸気が溢れている。
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湯上がりのコーヒー牛乳はもはや文化だ。
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細い道を通ると泥湯が姿を現す。
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元祖地獄蒸しプリンは必食。
※撮影のため特別にタオルを巻いています。