Vol.90
関西電力株式会社
The Kansai Electric Power Co., Inc
電気は必要な時に必要なだけ使えるのが当たり前となっている現在。ある日突然、電力が制限される状況を、想像できるだろうか。戦後、急速な経済復興に伴い、関西エリアでは電力供給が追いつかず、自由に電力が使えない生活を余儀無くされた。こうした状況を打開するため動いたのが関西電力株式会社。お客さまを第一に考えるという想いを大切に、これまで数々の挑戦を形にしてきた。
1956年、関西電力は社運をかけた世紀の難工事『くろよん(黒部川第4発電所)建設』を開始。人を寄せ付けない秘境黒部には人が通る道もなく、最大の難工事になるといわれていたが、人々に安定した電力を届けるため、くろよんの完成をあきらめるという選択はない。工事の鍵となったのは、5400メートルの大町トンネルの掘削工事。当時の標準の3分の1の工期での完了を目指し、少しでも前へと掘り進めていった。順調と思えたが、1691メートル地点で破砕帯と呼ばれる地下水を含んだ土砂が溢れだし、行き場を塞いだ。摂氏4度、毎秒660リットルの水が滝のように流れる中、手掘りで進めたが、2ヶ月間で進んだのはわずか10メートル。工事は暗礁に乗り上げた。
このままだと電力不足の暮らしが続くことに。そこで初代社長の太田垣士郎氏はトンネル工事の最前線に入り、「鉛筆一本、紙一枚を節約してでもくろよんの工事には不自由させない。必要なものはなんでも送るからがんばってくれ」と激励の言葉をかけた。そんな太田垣氏と現場の人たちの姿は社員の心を打ち、くろよん工事に手を貸そうと全社一丸となり、できることはなんでもした。そして距離わずか80メートルの破砕帯を7ヶ月の苦闘の末に突破。1963年、くろよんは竣工した。
電気は必要な時に必要なだけ使えるのが当たり前となっている現在。ある日突然、電力が制限される状況を、想像できるだろうか。戦後、急速な経済復興に伴い、関西エリアでは電力供給が追いつかず、自由に電力が使えない生活を余儀無くされた。こうした状況を打開するため動いたのが関西電力株式会社。お客さまを第一に考えるという想いを大切に、これまで数々の挑戦を形にしてきた。
1956年、関西電力は社運をかけた世紀の難工事『くろよん(黒部川第4発電所)建設』を開始。人を寄せ付けない秘境黒部には人が通る道もなく、最大の難工事になるといわれていたが、人々に安定した電力を届けるため、くろよんの完成をあきらめるという選択はない。工事の鍵となったのは、5400メートルの大町トンネルの掘削工事。当時の標準の3分の1の工期での完了を目指し、少しでも前へと掘り進めていった。順調と思えたが、1691メートル地点で破砕帯と呼ばれる地下水を含んだ土砂が溢れだし、行き場を塞いだ。摂氏4度、毎秒660リットルの水が滝のように流れる中、手掘りで進めたが、2ヶ月間で進んだのはわずか10メートル。工事は暗礁に乗り上げた。
このままだと電力不足の暮らしが続くことに。そこで初代社長の太田垣士郎氏はトンネル工事の最前線に入り、「鉛筆一本、紙一枚を節約してでもくろよんの工事には不自由させない。必要なものはなんでも送るからがんばってくれ」と激励の言葉をかけた。そんな太田垣氏と現場の人たちの姿は社員の心を打ち、くろよん工事に手を貸そうと全社一丸となり、できることはなんでもした。そして距離わずか80メートルの破砕帯を7ヶ月の苦闘の末に突破。1963年、くろよんは竣工した。
その後も高度経済成長で電力需要は高まり、1970年には美浜発電所を建設。美浜から大阪の万博博覧会会場に、「原子の灯」が届けられた。日本のエネルギー史上に新たな1ページが追加された瞬間である。
これらの出来事は歴史のほんの一部。時代に合わせて、いつも人々の暮らしに電気を届け、お客さまや社会のお役に立ちたいという想いのもと挑戦してきたのだ。そんな関西電力の現在とこれからについて紹介したい。
※続きはANA LOUNGE内に設置された冊子「INNOVATIVE VOICE」にてご覧ください。(設置空港:新千歳空港、羽田空港、伊丹空港、福岡空港)
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