AIRPLANE1960-1961年2023/02/09更新
1960年から1961年にかけて、全日空は幹線用としてビッカース・バイカウントを、ローカル線用としてフォッカーF27フレンドシップを相次いで導入した。
その2種類の飛行機は、創業以来積もりに積もっていた赤字をたちまち一掃し、全日空を一躍大手エアラインの座にのし上げたのだった。
1960年8月に羽田=札幌線に就航したビッカース・バイカウント744は、当時の飛行時間を1時間以上も短縮し、約1時間50分という速さで飛ぶことができた。
搭載されていたターボプロップエンジンは、従来のレシプロエンジと比較して滑らかな操縦が可能で、飛行中の振動をぐっと抑えることができたため、「テーブルの上にタバコを立てても倒れない」というキャッチコピーも広まり、たちまち圧倒的な人気を博した。
バイカウント828と同時期に導入されたフォッカーF27フレンドシップもまた、全日空のイメージを一気に好転させた立役者であった。
地方空港の滑走路のほとんどが長さ1,200mほどしかなく、ジェット機はもちろん、同じターボプロップ機のバイカウントでも離着陸ができなかった1960年代。最大座席数44席のやや小型なこの飛行機は、ローカル線の主力機として大活躍した。
主翼の位置が高いため、大きな窓から外を眺めやすく、搭乗客からも好評で、更にはシンプルな設計でつくられた飛行機であったため実用的で扱いやすく、稼働率も高かった。
座席数の多い飛行機の需要が高まっていた1973年の3月を最後に、日本の空からは姿を消したものの、しっかりと整備されていたため、所有していた25機すべてが海外の航空会社などに購入時の価格より高い値段で売却された。
全日空の整備技術は、「安全第一」の精神とともに、当時から継承されている。