「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 すわりしままに食うは徳川」
徳川 家康
織田家・今川家での人質生活で培われた忍耐力により、信長との同盟時代、秀吉への臣従時代を経て、秀吉の死後、「関ケ原の戦い」で勝利し、征夷大将軍として江戸幕府を開いた。質素倹約を旨とする健康オタクでもあった
(享年74歳)
スタイル
身長159cm、恰幅が良く筋肉質。ふっくらした丸顔に、大きな耳と瞳が特徴。
豊臣 秀吉
貧しい家の出身ながら、明るい性格(人たらし)と機知で道を拓いた戦国一の出世頭。信長の死後、巧みな手腕で全国の大名を従え、天下統一を果たし、関白・太政大臣となる。晩年は朝鮮出兵など、ワンマン政策が目立ち、病没
(享年62歳)
スタイル
身長140〜150cm、体重45kgほどで華奢。目が飛び出ていてひげは少ない。
織田 信長
型破りな発想と戦術で天下統一の礎を築いた戦国時代の覇王。10倍もの大軍を打ち破った『桶狭間の戦い』、火縄銃を用いた『長篠の戦い』と圧倒的なカリスマ性で天下統一を目指したが、家臣明智光秀の謀反にあい、本能寺で散る
(享年49歳)
スタイル
170cm位、細身で筋肉質。ひげは少なく面長、鼻筋が通った端正な顔立ち。
江戸幕府を開いた天下人として名高い徳川家康。三河国(現愛知県東部)の岡崎城にて誕生したとして知られています。今川義元の人質として、19歳までの12年間を駿府城(静岡県静岡市)で過ごしたのち、駿遠経営の拠点として浜松城(静岡県浜松市)を築城。17年間にわたり在城しました。
人生の幕を下ろした駿府では、幼年期・壮年期・晩年と、3度の期間を過ごしています。
家康公の歴史を感じられるスポットが数多く点在する愛知県・静岡県。あなたなら、「どう巡る?徳川家康ゆかりの地」
浜松城の隣、浜松城二の丸跡にオープン!
ドラマ館のほか、葵の紋を模した芝生広場や遺構展示、地場産品を取り揃えたショップもお楽しみいただけます。
住所:浜松市中区元城町102-1(浜松城東)
オープン日:2023年3月18日(土)~2024年1月14日(日)
開館時間:10:00~18:00(最終入場17:30)
休館日:なし(予定)
料金:大人800円 小人(小中学生)400円
記載内容は予告なく変更となる場合があります。最新情報は施設ホームページにてご確認ください。
家康公生涯最大の負け戦となった三方ヶ原の戦い。兵力・作戦ともに武田軍に圧倒され、家康公は命からがら浜松城へ逃げ帰りました。その敗走路に残る、家康公のエピソードや伝説スポットを巡ります。
浜松城から約1km北にある断崖。三方ヶ原の戦いで大敗した家康公は、その夜に一矢を報いようと、犀ヶ崖近くで野営する武田軍を急襲。武田軍は崖に転落し多くの死者を出したという言い伝えがあります。
927年創建。境内にある「雲立の楠」と呼ばれるクスノキの洞に、三方ヶ原の戦いに敗れた家康公が身を隠していたところ、木から雲が立ち上がり白馬に乗った神霊が浜松城へと飛び立つのを見た、という伝説があります。
三方ヶ原の戦いで敗れ浜松城に逃げ帰った家康公が、鎧を脱いでこの松に掛けたという伝説からその名が付けられました。現在の松は3代目で、初代の松は浜松城内の堀の近くにあったといわれています。
家康公が29歳〜45歳(※年齢は数え年)までの17年間住んでいたのが、ここ浜松城。この間に戦国武将として領地を拡大していきました。浜松城主から江戸幕府の要職に就く者が多かったことから、浜松城は「出世城」と言われ、浜松は出世のまちとされています。
浜松駅周辺
JR浜松駅北口から徒歩約3分の抜群の立地。新幹線利用やお買い物にも最適で浜松の繁華街からも近く、館内1階には24時間営業のコンビニがあります。
浜松駅周辺
音楽ホールなどを擁するアクトシティ浜松内の超高層タワー。客室からは富士山や遠州灘の風景を一望できます。「動く歩道」で浜松駅に直結。
浜松駅周辺
JR浜松駅から徒歩3分の「美味しいホテル」。自慢の朝食バイキングと夕食で、くつろぎのひとときを色鮮やかにおもてなしいたします。
浜松市
大宴会場、レストランを備えた浜松市を代表するフルサービスホテル。無料の立体駐車場 300台を完備しており、車利用での観光に最適なホテルです。
浜松城周辺
浜松城・どうする家康 浜松 大河ドラマ館に近い絶好のロケーション。焼きたてのオムレツや鰻まぜ御飯が人気の朝食バイキングをお楽しみください。
浜名湖周辺
広めのお部屋と温泉大浴場・露天風呂・サウナも完備した温泉リゾートホテル。浜名湖のほとりに位置する宿で非日常の贅沢な時間をお過ごしください。