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Journey+家業イノベーション『事業承継を考える旅 in 北海道』

 令和初の開催となったJourney+家業イノベーション『事業承継を考える旅 in 北海道』。今回訪れた先は、北海道赤平市で車両搭載型低電圧電磁石システムの設計・製作・販売を営む株式会社植松電機と、北海道上川町にて層雲峡温泉「ホテル大雪」や「ホテルクレッセント旭川」を経営する西野目産業株式会社。
 双方の企業に共通するのは、地域社会との関わりを重視しつつ、広い視野で物事を捉え、新たな領域へと挑み続けるチャレンジスピリット。また、多様性を受け入れながら、社員一人ひとりの主体性を引き出し、新たな事業やイノベーションを生み出そうとする熱意と姿勢である。

 Journey+「事業承継を考える旅」は、事業承継や地域課題解決に興味を持つ者同士が、地域のリーダーの元を訪れ、学びの機会を得るとともに、参加者同士で課題について考え、旅を楽しむプログラムである。地元で愛され続け、挑戦し続ける企業のトップとのセッションを通じて、事業承継やイノベーション、地域社会における課題解決についての知見を広げる貴重な機会となった。
 今回の旅は、今年2月に実施した「伝統をつなぐ旅」同様、“中小企業サポーター”エヌエヌ生命保険株式会社の取り組みのひとつである次世代経営者に向けた「家業イノベーション・ラボ」との連携を図りながら実施した。

「思うは招く」、夢があればなんでもできる

 初日は、北海道赤平市にて車両搭載型低電圧電磁石システム設計・製作・販売業を営む株式会社植松電機 代表の植松努さんを訪ねた。

 本業とは別に、北海道大学と共同でロケット開発に取り組む植松電機。代表の植松さんは、「NASAより宇宙に近い町工場」「あきらめない練習」など多数の著書を出版しており、メディアでも度々紹介されている。 特にTED×Sapporoでの講演では、その感動的な内容が多くの反響を呼んだ。

「中学生の頃、私は飛行機やロケットに関わる仕事をしたいという夢を持っていました。それを母に伝えたところ、”あなたには無理だわ”とも、”頑張ればできるよ”とも言わず、“思うは招く”だよと言いました。この“思うは招く”という言葉は、思ったらそうなるよ、という意味ですが、それ以来、私はこの言葉が大好きになりました。思いさえあれば、自分はなんでもできる。夢があれば何でもでき流のです。ですから、みなさんにも素敵な夢をたくさん持って欲しいんです」

 植松さんの生まれ育った赤平市は、もとは石炭の町であった。かつて6万もの人が住んでいたが、現在は1万人にまで減少し、今もなお年400人ずつ減少しているという。

 「なぜ人が減ってしまうのかというと、答えはシンプル。仕事がないからです。ここに住む人たちは、不景気だからとか、田舎だからとぼやいています。けれども、ぼやいても何も変わりません。仕事がなければ作れば良い。ですから私はこの町で、生まれて初めて会社を作りました。今から19年前、ここは何もない原っぱでしたが、気づいたら、私はこの地で株式会社の社長という仕事をしていたんです」

 幼い頃の植松さんは、宇宙が大好きだったという祖父の影響を受け、飛行機や宇宙関係の本を読み漁った。当初は大好きな祖父の笑顔見たさに読んでいたが、次第にその魅力に取りつかれた。
 一方、学校での植松さんは、教師から酷い言葉をあびせられたり、体罰を受けるなど、辛い時間を過ごした。その時の体験が、植松さんを宇宙開発へと誘ったのだ。植松さんにとって、宇宙開発は児童虐待を失くすための手段にすぎないのである。

「子どもの頃、学校の先生に飛行機やロケットの話をすると『お前なんかにできるわけがない。どうせ無理だ』と言われました。
この『どうせ無理』という言葉はとても便利な言葉です。なぜなら、使った瞬間に何も考えず、何もしなくてよくなるからです。ですから、この言葉を使う人はたくさんいます。けれどもこの言葉は、使った人と周りの人の自信と可能性を奪ってしまう恐ろしい言葉でもあります。自分の自信さえも知らない間に失ってしまう言葉なのです。
私には夢があります。それは人の自信と可能性が奪われない社会を創り、この世からイジメや虐待をなくすことです。
『どうせ無理』という言葉がなくなれば、この社会から児童虐待がなくなるのではと考え、活動をしています」

大事なのは現金よりも知恵と経験と人脈

 植松さんの祖母は、今でいう起業家であった。その祖母が言い続けてきた言葉がある。

“お金は値打ちが変わってしまうから、お金は知恵と経験に使いなさい”

「今のお金の価値は全くつかめません。ですから、これからの社会は資本主義ではなく人間資本主義に移行していくべきではないでしょうか。知恵と経験、人脈にこそ価値がある。投資すべきは人の能力なのです」

 今でこそ、リサイクル用マグネットがメイン事業となっている植松電機だが、かつては失敗の繰り返しだったという。
 植松さんの父は、1950年代からモーター修理業を営んでいた。ところが炭鉱の閉鎖に伴い、家業も衰退。その後、モーターの知識を生かし、1970年代から普及し始めた自動車の電気部品の修理業を生業とした。植松さんはこの仕事を継ぐ形で会社経営をスタートした。ところが時代の変化に伴う流れのなかで、一生続く仕事はない、必ず変化が訪れると確信。大事なことは維持することではなく、いち早く現場から脱出することであると考え、34歳のとき、植松電機として法人化した。父の事業とは異なる新たな事業を開発し、初めて雇用も経験した。

「私はそもそも大きな間違いを犯していました。それは、リーダーシップとは指示するもの、命令するものだと思っていたんです。たくさんの失敗や挫折を経験し、思考するなかで、少しずつ本質が見えてきました。
会社と社会は同じ漢字です。果たして、社会に命令や強制は必要なのか?指示命令がなければ、人は力を合わせられないのか?と考えました。
そこで、ある時から部と課と役職をなくしました。全員同じ立場です。指示命令はなく、代わりにあるのは相談とお願いと感謝だけ。すると、社員の主体性が芽生えはじめたのです。考えてみたら、家族や友人に対して命令や強制はしません。つまり、これがスタンダードなのです」

失敗は、乗り越えた時にこそ力になる

 組織がうまく回り始めると、植松さんは、北海道大学の永田教授らとロケットエンジン開発をスタートした。植松さんたちが開発を進めるエンジンは、CAMUI型ハイブリッドロケットといい、従来のロケットエンジンとは異なったエンジンを搭載している。比較的安全であることから、世界で唯一、打ち上げ時の見学が可能なロケットでもある。

「生まれて初めてロケットエンジンを作って飛ばしたところ、なんと27回も爆発し続けました。失敗の連続です。当時は、車に乗ることさえ嫌になってしまいました。なぜこんなにも簡単にエンジンがかかるのか...と。
と同時に、あることに気づきました。どうして爆発ばかりなのか?それは、やったことがないからです。初めてのことをすると、人は必ず失敗するのです。
人間はやったことがないこととしか出合いません。なぜなら人は一度しか生きられないから。どんな人も、生まれて初めての人生をぶっつけ本番で生きているのです」

 我々は失敗はいけないことだと教えられてきた。植松さんは言う。失敗において大事なことは、罰を与えることではなく、失敗の原因を追求し、再発を防ぐことである。失敗は貴重なデーターであり、それを乗り越えた時に初めて、力になる。そして本当の責任とは、生き延びることとやり遂げること、そして再発を防ぐことなのだと。

「未来は誰にも分かりません。分からないのだから諦める理由もありません。ただ一つ分かっていることは、全ての人にものすごい可能性があるということだけです。
好きなことならば頑張れます。仲間が増え、力が増し、可能性が増すのです。続けていれば、必ず成し遂げられるのです」

 植松電機では採用時、「ロケットを作りたい」「宇宙の仕事をしたい」という人ではなく、「人の役に立つ仕事をしたい」という人が選ばれるという。先の見えない時代だからこそ、人が人としてあるべき姿が問われるのだ。そして、その答えがここ植松電機にあった。

時代の変化とともに、経営を続けてきた

 2日目は、北海道上川町へ。層雲峡温泉「ホテル大雪」や「ホテルクレッセント旭川」を経営する西野目産業株式会社の5代目社長、西野目智弘さんを訪問した。次世代の北海道観光の在り方を視野に入れ、観光地として層雲峡を守ること、また新たな観光のスタイルを作りあげるべく地域の企業とともに観光振興に取り組んでいる。
 今でこそ国立公園に指定されているこのエリアだが、もとは手つかずの原野であった。西野目さんの先代は、そんな土地を昭和一桁の時代より、一帯の木を伐採し、切り拓くことからスタート。当初は木材の会社として木材を卸していたという。昭和29年、環境の素晴らしさに気づき、旅館を建設。当時はこの辺りの雰囲気がヨーロッパに似ていたこともあり、和風の旅館ではなく西洋の山荘に習い、自社の木材をふんだんに使用した山荘風の旅館にした。
 現在の西野目産業は宿泊事業と観光事業を主軸とし、層雲峡エリアに「ホテル大雪」と「北の森ガーデン(ドライブイン)」、旭川に「ホテルクレセント」と計三ヶ所の施設を運営している。

 「2021年に層雲峡温泉は命名100周年を迎えます。開湯してからは160年近く経っていますので、登別温泉に次いで古い温泉地となります。ところが、登別温泉ほど知名度は高くなく、特に若い旅行者には名前が浸透していないのかなという印象も受けています。
我々はこの地で創業し、時代の変化とともに経営を続けてきました。途中、北海道ブームがあり、大量にお客様がいらっしゃる時代もありましたが、今後は次世代の観光地として盛り上げていく必要があります。
現在の建物は40年ほど前に建て、その後増築や修繕を繰り返しながら、現在にいたっています。平成5年には旭川市内に「ホテルクレセント」も開業しました」

 現在、層雲峡温泉にはホテル大雪を含めて、大規模なホテルが5つある。平成10年前後、層雲峡温泉の宿泊数は毎年100万人ほどであったというが、20年以上経た現在は、年間60万人程度となっている。うち、インバウンドは20万人程度。インバウンドに関しては、伸ばそうと思えばまだ伸ばすことは可能だが、そのあたりは各ホテル、日本人客との兼ね合いを考えコントロールしている。
 層雲峡観光の魅力は、圧倒的な自然を堪能できることにある。これまではロープウェイが印象深かったが、ここ数年、新規観光事業が盛んだ。例えば、廃校となった小学校を改装した写真ミュージアム。写真だけのミュージアムとしては、日本最大規模という。また、2014年には大雪山連峰とニセイカウシュッペの森に囲まれた大雪高原旭ヶ丘に「森のガーデン」という施設がオープン。北海道出身のシェフ、三國清三氏がオーナーシェフを務めるレストランも併設している。

「現在、私の仕事のかなりの部分を、地域との関わり、地域開発が占めています。もちろん、本業であるホテル経営や施設運営からしっかり利益を生み出すことは大切です。けれども施設ありきでは、人々がこの地に足を運ぶ理由がありません。地域全体を楽しんでいただいた上で宿泊してもらうことが必要なのです。ですから、層雲峡そのもののコンテンツを充実させることはもちろん、北海道全体の観光需要を底上げしていくことで、地方観光地にも利益をもたらせるのだと考えています」

官民が一体となり、大きなうねりをつくる

 西野目さんの肩書きは多岐に渡る。観光協会の理事、旅館組合の事務局長、北海道観光を考えるみんなの会の役員など。加えて、観光予算獲得のための組織も作った。それまで観光業は政治との深い付き合いがなかったが、組織ができたことで6億の予算が、20億にまで引き上げられた。
「観光には行政との関わりは外せません。なぜなら、地域住民のなかでも温度差があるからです。元は木材や農業の街であったため、観光業を通して街が豊かになるということを明確に示さなければ、地域住民からの理解は得られません。『北の山岳リゾートを目指そう』と掲げ、観光で得られた原資を街に還元していく、という基本計画を実現するためには、官民が一体となる必要があります。大きな流れを変えるのは大変ですが、行政と頻繁に意見交換をしながら一歩一歩進めています」

 観光事業と言っても、国立公園に指定されている層雲峡エリアでは様々な規制があり、その厳しさは日本一である。数々のアイデアを出すも、様々な制限を受け実施にはいたらなかった。
“国の規制”という困難な課題にも屈せず、昨年からスタートしたのが、紅葉のライトアップイベント「奇跡のイルミネート」である。昨年は3週間の会期中、おそよ9000名もの観光客が訪れたという。

「我々が目指しているのは、訪れる人たちが上川・層雲峡地域での滞在時間を伸ばし、宿泊へとつなげていくことです。
従来の観光協会の仕組みでは、課題や取り組みへの解決法やアクションがなかなか決まらなかったのです。それを解消するため、私が座長となり“未来観光プロジェクト”をスタートしました。それ以来、色々なことスムーズになりました。面白いことに、一度始まってしまえば、それまで難色を示していた人でさえ“いいね”と言ってくれ、事業化の実現も可能となりました」

 観光事業と言っても、国立公園に指定されている層雲峡エリアでは様々な規制があり、その厳しさは日本一である。数々のアイデアを出すも、様々な制限を受け実施にはいたらなかった。
“国の規制”という困難な課題にも屈せず、昨年からスタートしたのが、紅葉のライトアップイベント「奇跡のイルミネート」である。昨年は3週間の会期中、おそよ9000名もの観光客が訪れたという。

「我々が目指しているのは、訪れる人たちが上川・層雲峡地域での滞在時間を伸ばし、宿泊へとつなげていくことです。
従来の観光協会の仕組みでは、課題や取り組みへの解決法やアクションがなかなか決まらなかったのです。それを解消するため、私が座長となり“未来観光プロジェクト”をスタートしました。それ以来、色々なことスムーズになりました。面白いことに、一度始まってしまえば、それまで難色を示していた人でさえ“いいね”と言ってくれ、事業化の実現も可能となりました」

 「良いコンテンツを作り、発信し続けていれば、やがて集客につながる」という西野目さん。今後は上川町の持つ自然を体験できるような体験やイベントなどを開催していきたいと考えている。日本全国、過疎化が進むなか、地元の企業が中心となり地域を盛り上げることで、街そのものが豊かになる好事例と言えよう。

撮影:小林忠広(セブンハンドレッドクラブ)
取材/文:富岡麻美(THINK AND DIALOGUE Co., Ltd )

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