「鹿児島県・錦江湾」釣り旅の記録
“心に迫る錦江湾の歴史と釣り”
2018年は明治維新から150年目の節目の年。維新を語るうえで欠かせないのが薩摩藩(現在の鹿児島県)。
藩主は島津家。島津家の別邸として造られた仙巌園は鹿児島市内にあり、錦江湾奥のほとりにたたずんでいる。
現在は一般に公開され、多くの観光客で賑わう名勝でもある。
園内を進むと錦江湾の水辺と威風堂々とした桜島が目に飛び込んでくる。庭園は桜島を借景とし、その眺望は今も昔も変わることなく見る者の心に迫ってくる。
幕末期の薩摩藩主であった島津家18代当主・斉彬は、日本の開国や近代化に積極的で、仙巌園に残る反射炉跡や鶴灯籠は、斉彬候が抱いた近代化への決意だと言い換えることができる。日本の未来という大きな視点を持っていた斉彬候だが、同時に大の釣り好きでもあった。
現地には仙巌園の目の前でマダイを釣っていたという話も伝えられており、当時の釣り道具を推察するに、かなりの腕前であったことがうかがえる。錦江湾はマダイが多いところで、斉彬候の時代には河口の地引き網にマダイが入っていたようだ。ほかにも魚図鑑や漁業振興策を整備するなど、海への関心も高かった。
斉彬候は、桜島のみならず鹿児島の海にも魅せられていたのだ。
11月初旬、そんな錦江湾への釣り旅に出かけてくれたのはテレビや釣り雑誌で活躍するタレントの阪本智子さん。現地で出迎えてくれ、釣りのアドバイザーを買って出てくれたプロアングラーの松岡豪之さんだ。
そして、隣県宮崎出身のANAホールディングス会長の伊東も便乗。ねらうは、釣り好きの伊東がまだ釣った経験がないアオリイカ。阪本さんもボートからのアオリイカ釣りは初挑戦。さらに錦江湾での釣り自体が初という初尽くし。
釣り人以外にはあまり知られていないが、薩摩はアオリイカを獲る餌木(えぎ)という漁具の発祥地のひとつである。『南洲翁謫所逸話』には、明治維新の表舞台に立っていたあの西郷隆盛も餌木を作り、アオリイカを釣っていたと記録されている。
そしてもうひとつ、斉彬候も楽しんだ錦江湾のマダイ釣りにはひとつテンヤという現代の釣法で挑戦した。
- このコンテンツは、2017年11月の情報をもとに作成しております。