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    【高知・仁淀川の釣り旅】水質日本一!仁淀ブルーの天然元気アユと龍馬をめぐる旅

    SCENE 01
    坂本龍馬と志士たちの足跡
    SCENE 02
    ゆたかな川文化、土佐の和紙と地酒
    SCENE 03
    三段引きの若アユがサオを絞る
    SCENE 04
    究極の仁淀ブルー安居川の釣り
    SCENE 05
    カツオのたたきと海山の珍味
    SCENE 06
    そしてまた、仁淀川に立つ

    “坂本龍馬と志士たちの足跡”

    厚い雲の層を抜けると、眼下に黒潮の波立つ海。飛行機は高知龍馬空港の滑走路にすべるように着陸した。
    羽田から90分。かすかに潮の香りを含んだ南国・高知の夏の風がわれわれを迎えてくれた。
    めざすは、仁淀川のアユ。レンタカーに釣り道具を積み込み、まず高知市街へ。
    大人の釣り旅は、釣りだけがすべてではない。
    知らない土地の風土になじみ、歴史・文化を知り、人間の営みを肌で感じる。

    日本一の街路市といわれる「土佐の日曜市」
    日曜市は追手筋の片側2車線を占拠して開かれる。店主に気軽に話しかけて、土佐弁を聞く楽しみも。夏時間(4~9月)は早朝5時にはじまり、夕方6時まで開催。冬時間(10~3月)は5時30分~17時

    到着したのは日曜日で、ちょうど“日本一の街路市”といわれる「土佐の日曜市」の開催日だった。
    この市の始まりはいまから300年以上昔、土佐藩第4代藩主・山内豊昌公の時代。追手筋を中心に1丁目から7丁目まで約1.3kmに、400店以上が連なり、およそ1万5千人の人出でにぎわう。
    1丁目から、“市(いち)ブラ”をスタート。キュウリ・トマトなど地野菜、カツオ節や沖ウルメ天日干しなど名産品のほか、焼鳥、ギョウザ、冷やし飴、かき氷、いも天ぷら、焼きトウモロコシ、自家製漬け物、植木・山野草、地場産業の包丁や銅鍋などの刃物・金物、織物など衣・食・住のあらゆる産物が並ぶ。また、“つがに汁”、子どもに大人気の“ヤドカリ”販売など地元ならではの店も。

    土佐打刃物や陶器
    古い日本刀

    7丁目には刃物、金物、骨董屋が多く集まっている。無骨だが切れ味鋭い伝統の土佐打刃物は、包丁やナイフのほか鉈(なた)、鉞(まさかり)なども。
    骨董屋には古い日本刀や陶器が

    久しく忘れていた“買い食い”や“ひやかし”の気分を味わいつつ、土佐弁の飛び交う通りを進むと突然、前方の小高い緑の森の中に白と黒の「高知城」の威容が現れた。堂々たる構えの追手門、そびえ立つ天守閣。高知城は、本丸の建築群がすべて現存している日本で唯一の城だそうである。

    土佐の高知の偉人といえば、幕末維新の志士たちである。
    とりわけ坂本龍馬と武市半平太は、その悲劇的な死とともに日本人の心をさわがせる。
    黒潮打ち寄せる桂浜に立てば、龍馬が夢見た壮大な未来が見える。その桂浜を見下ろす高台に建つのは「坂本龍馬記念館」。
    入り口では、右手を差し出した等身大・約180cmの“シェイクハンド龍馬像”が迎えてくれる。館内には、龍馬の肖像写真、書簡などの一級資料がずらり。京都・近江屋の龍馬暗殺の部屋が復元展示され、この畳部屋に上がってしばし黙考すれば、龍馬の無念が伝わってくる。

    高知城
    6丁目を過ぎると、高知城に突き当たる。追手門(右)は正門で、2階には「石落とし」もあり、城としての防御機能もそのまま残っている。奥の天守閣は高さ18.5mで、1749年に再建。1階には「忍び返し」が現存している
    県立坂本龍馬記念館
    シェイクハンド龍馬像

    「県立坂本龍馬記念館」では、右手を差し出した等身大の“シェイクハンド龍馬像”が出迎えてくれる。館内には大政奉還前に龍馬が後藤象二郎に宛てた叱咤激励の手紙、姉乙女への手紙、京都近江屋にあった血痕の付着した屏風など龍馬と幕末の志士たちの一級資料が数多く展示されている。
    龍馬の妻だったお龍の写真、龍馬と中岡慎太郎が暗殺された部屋の再現なども(TEL:088-841-0001)

    桂浜
    今年は龍馬生誕180年。月の名所でもある桂浜を見下ろす地には、巨大な坂本龍馬像が立ち、観光客の撮影スポットになっている。黒潮の打ち寄せる浜におりれば、世界に続く広大な海が広がる。
    龍馬はこの浜に立って、世界と日本の未来を見たのだろうか
    坂本龍馬像

    桂浜から浦戸大橋を渡った田園風景の中には、土佐勤皇党の盟主・武市半平太の旧宅が残り、裏手の神社の森には墓もある。
    再び市街に戻れば、坂本龍馬生誕地をはじめ、土佐勤皇党の志士に暗殺された吉田東洋記念碑、自由民権運動の主導者・板垣退助誕生地など、市内のいたるところに龍馬と幕末の志士たちの足跡が残されている。

    武市家の墓所
    動乱の幕末。土佐勤皇党の首領として守旧派・吉田東洋暗殺を指示した罪で切腹。その旧宅がいまに残っている。田園風景の中の山裾にひっそりとあり、土佐藩・郷士屋敷の素朴な面影が残る。いまは一般の人の住まいなので訪問の際はよくことわってから。近くの林の中に武市家の墓所があり、半平太の墓も。記念館もある
    「坂本龍馬誕生地」の碑
    龍馬が生まれた高知城下本町筋は、現在の高知市上町。この一角に「坂本龍馬誕生地」の碑が建ち、揮毫は元首相・吉田茂。付近には、水天宮など龍馬が幼少期や少年時代を過ごした路地が一部残り、剣術を学んだ道場跡なども
    堀で隔てられていた豪商・播磨屋と櫃屋の間に設けられた橋
    高知市の中心部にある。江戸時代、堀で隔てられていた豪商・播磨屋と櫃屋の間に設けられた橋。
    ペギー葉山が歌う「南国土佐を後にして」の歌詞で全国的に有名になり、近くにはペギー本人の歌が流れる歌碑もある
    • このコンテンツは、2015年7月の情報をもとに作成しております。
    ライター:世良 康
    写真:浦 壮一郎

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