“坂本龍馬と志士たちの足跡”
厚い雲の層を抜けると、眼下に黒潮の波立つ海。飛行機は高知龍馬空港の滑走路にすべるように着陸した。
羽田から90分。かすかに潮の香りを含んだ南国・高知の夏の風がわれわれを迎えてくれた。
めざすは、仁淀川のアユ。レンタカーに釣り道具を積み込み、まず高知市街へ。
大人の釣り旅は、釣りだけがすべてではない。
知らない土地の風土になじみ、歴史・文化を知り、人間の営みを肌で感じる。
到着したのは日曜日で、ちょうど“日本一の街路市”といわれる「土佐の日曜市」の開催日だった。
この市の始まりはいまから300年以上昔、土佐藩第4代藩主・山内豊昌公の時代。追手筋を中心に1丁目から7丁目まで約1.3kmに、400店以上が連なり、およそ1万5千人の人出でにぎわう。
1丁目から、“市(いち)ブラ”をスタート。キュウリ・トマトなど地野菜、カツオ節や沖ウルメ天日干しなど名産品のほか、焼鳥、ギョウザ、冷やし飴、かき氷、いも天ぷら、焼きトウモロコシ、自家製漬け物、植木・山野草、地場産業の包丁や銅鍋などの刃物・金物、織物など衣・食・住のあらゆる産物が並ぶ。また、“つがに汁”、子どもに大人気の“ヤドカリ”販売など地元ならではの店も。
7丁目には刃物、金物、骨董屋が多く集まっている。無骨だが切れ味鋭い伝統の土佐打刃物は、包丁やナイフのほか鉈(なた)、鉞(まさかり)なども。
骨董屋には古い日本刀や陶器が
久しく忘れていた“買い食い”や“ひやかし”の気分を味わいつつ、土佐弁の飛び交う通りを進むと突然、前方の小高い緑の森の中に白と黒の「高知城」の威容が現れた。堂々たる構えの追手門、そびえ立つ天守閣。高知城は、本丸の建築群がすべて現存している日本で唯一の城だそうである。
土佐の高知の偉人といえば、幕末維新の志士たちである。
とりわけ坂本龍馬と武市半平太は、その悲劇的な死とともに日本人の心をさわがせる。
黒潮打ち寄せる桂浜に立てば、龍馬が夢見た壮大な未来が見える。その桂浜を見下ろす高台に建つのは「坂本龍馬記念館」。
入り口では、右手を差し出した等身大・約180cmの“シェイクハンド龍馬像”が迎えてくれる。館内には、龍馬の肖像写真、書簡などの一級資料がずらり。京都・近江屋の龍馬暗殺の部屋が復元展示され、この畳部屋に上がってしばし黙考すれば、龍馬の無念が伝わってくる。
「県立坂本龍馬記念館」では、右手を差し出した等身大の“シェイクハンド龍馬像”が出迎えてくれる。館内には大政奉還前に龍馬が後藤象二郎に宛てた叱咤激励の手紙、姉乙女への手紙、京都近江屋にあった血痕の付着した屏風など龍馬と幕末の志士たちの一級資料が数多く展示されている。
龍馬の妻だったお龍の写真、龍馬と中岡慎太郎が暗殺された部屋の再現なども(TEL:088-841-0001)
桂浜から浦戸大橋を渡った田園風景の中には、土佐勤皇党の盟主・武市半平太の旧宅が残り、裏手の神社の森には墓もある。
再び市街に戻れば、坂本龍馬生誕地をはじめ、土佐勤皇党の志士に暗殺された吉田東洋記念碑、自由民権運動の主導者・板垣退助誕生地など、市内のいたるところに龍馬と幕末の志士たちの足跡が残されている。
- このコンテンツは、2015年7月の情報をもとに作成しております。