毛バリ釣りの聖地
初夏、男体山の中腹から太陽が顔を出し、奥日光にたたずむ中禅寺湖に朝日が射しこむと、周囲ではハルゼミがいっせいに鳴き始めます。暗いうちからこの時を待っているのは、この湖に棲むマスたちです。水面に落ちてパタパタともがくハルゼミは、彼らの大好物なのです。
「ドッボーン」
マスたちがハルゼミに襲いかかると、まるで岩でも投げ込んだかのような大きな音と水しぶきが上がります。その迫力は野生そのもので、私はサオをだすのも忘れて見入ってしまいました。
もとは魚類の棲まなかった中禅寺湖に、下流の大谷川(だいやがわ)からイワナが移入されたのは1870年(明治3年)のことです。以来、試験飼育などの目的でマスの仲間を中心に魚が放されるようになると、1889年頃には西洋式毛バリ釣り(フライフィシング)が日本で初めて行なわれました。当時、この湖で釣りをしていたのは、日本に滞在する西欧の外交官、お雇い外国人、その家族、日本の政治家や実業家など、いわゆる社交界に属する人たちです。幕末の志士との交流や長崎のグラバー邸で知られるトーマス・ブレーク・グラバーもその一人で、グラバーは中禅寺湖で釣りをするだけでなく、近くの戦場ヶ原を流れる湯川に、米国コロラド州から取り寄せたブルックトラウト(カワマス)を放しました。その際は卵をまず取り寄せ、孵化させてから稚魚を放しており、注がれた資金や情熱は相当なものだったと思われます。
その湯川も中禅寺湖と似て、どこか海外を思わせる景色が広がっています。この川で釣りをする際は、川沿いの白いズミの花のトンネルをくぐり、木道からピンクのホサキシモツケをすり抜けるようにして川岸に出ます。グラバーは母国スコットランドのチョークストリーム(石灰岩地帯に見られる水草が生い茂りゆったりと流れる川)を思わせるこの流れを見て、子供の頃に釣りをした故郷の水辺を再現したかったのかもしれません。
湯川では初夏から夏にかけて多くのカゲロウが羽化します。グラバーが移入したブルックトラウトの子孫たちは、羽化したばかりの虫を追いかけ、梅花藻の流れの中で飛びつきます。釣りに出かければ、その様子を目にすることはそれほど難しくありません。
ニッカボッカを履いてハンチング帽をかぶり、竹竿(バンブーロッド)で釣りをしていたグラバーの姿を思い描きながらのフライフィッシングには、釣果とは全く別の魅力があります。それは間違いなく、毛バリ釣りの聖地ならではのものです。
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