富士山からの手紙
八十代の母は友人によく手紙を書く。メールもLINEもできないからだ。引き出しには美術館や旅先で買い求めた絵葉書がたくさんある。
少し前のこと、大病を患った。大きな手術をして元気になり、遠方に住む友人へ回復報告の手紙を書いていた。翌日は東京の病院の検診で、付き添った私は近くのポストを探してくれといわれた。
「都心の消印が押された手紙を出したいのよ」
鎌倉に住んでいるので、都心の消印はそれだけ遠出ができるようになった証になるという。
富士山の山頂に郵便局があるのを知ったのは最近だった。山登りを始めた友人が、富士山に登った時の写真をiPadで見せてくれた。100枚ほどの写真を一気に見ていたら、勝手に達成感を抱いた。富士山には一度登った方がいいよ、とすすめられたが、体力も気力も中途半端な私にはとうてい無理だろう。
スクロールしていくと、郵便局が写っていた。その名も「富士山頂郵便局」というそうで、登山シーズンの7月、8月の間だけ開局される。
郵便物には、富士山とこの郵便局の絵が入った「静岡 富士山頂」という消印が押される。風景の入った消印のことを風景印と呼ぶそうだ。
聞いているうちに、山頂に行ってみたくなった。正確にいえば、「富士山頂」という消印の手紙を出したくなったのだ。ここでしか手に入らない切手も欲しい。
私はすっかり登頂した気になって、山頂から誰にどんな手紙を出すだろうと考えた。山が好きだった父に、目の前に広がる景色を見たままに文章にして伝えたい。亡くなった父は編集者で、向田邦子さんとも仕事をしていた。「目で見えるような文章を書いてください」と注文したことを向田さんのエッセイで読んだ。富士山からの景色を文章で見せたい。
数年前に亡くなったフランス人の友人にも葉書を出したい。大の日本好きで、携帯の待ち受けが富士山の写真だった。私はフランス語ができないので、スマホでフランス語を調べながら書かなければならない。何時間も歩いた後で書けるだろうか。彼は趣味で日本語を勉強していたから、消印の富士山頂という漢字に気がつくはずだ。
などと、亡くなった人ばかり思い浮かんでしまう。別れた恋人やら音信不通になったままの気まずい友人やら、なつかしい顔も頭に浮かぶ。富士山には大きな時間の流れを想像させる何かがあるのだろう。
そうだ、小学校の担任だった先生にも葉書を出そう。通知表には「根気がない」「気が散りやすい」としょっちゅう書かれていた。授業中、級友に話しかけては先生に怒られていた。自分から給食のお代わりをしたのに、飽きてしまい半分も残してあきれられたこともあった。そんな私が富士山頂にいると知ったら、先生は驚かれるに違いない。
私の「消印欲」は、自分の状況を知らせたいというより、誰かをあっといわせたいのだ。こんな自分には登山は無理だろうか。
今まで、富士山は遠くにあって眺めるものだった。天気のいい日に自宅近くの海岸線をジョギングすると、江ノ島の右奥の位置に佇む富士山が見える。それだけで、その日が充実した一日のような気になるのだ。ダイヤモンド富士と呼ばれる、夕陽がちょうど富士山の山頂に沈む光景を見ると気持ちが大きくなる。
富士山を毎日のように眺めているのに、具体的に考えることはあまりなかった。山頂に郵便局があると知って、身近な存在に思えてきた。
山頂から送る葉書に私はなんと書くのだろう。いつもは他人が書かないような言葉ばかりを探しているけれど、意外と普通っぽい、なんということはない言葉が並んでしまうかもしれないなあ。
- 作家プロフィール
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- 甘糟りり子
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横浜生まれ、鎌倉育ち。大学卒業後、アパレル会社を経て文筆業へ。独自の視点を活かした小説、エッセイやコラムに定評がある。著書に『産む、産まない、産めない』(講談社文庫)、『鎌倉の家』(河出書房新社)、『バブル、盆に返らず』(光文社)など。
- 富士山頂郵便局(静岡県)は、例年7月上旬から8月中旬にかけて期間限定で開設されていますが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、2020年、2021年は開設中止となりました。
- メインビジュアル:朝霧高原から望む雪景色の富士(©静岡県観光協会)
- 写真はすべてイメージです。