しまなみ海道をわたる風
毎年、愛媛の農家から柑橘類を買っている。年が明けて少しすると連絡をもらい、みかんやレモンがたくさん送られてくる。中には手絞りのみかんジュースもあって、甘さと酸っぱさがちょうどいい具合の比率でとてもおいしい。ダースで買うのだが、あっという間に飲み干してしまう。太陽の匂いがする柑橘類から、私はまだ行ったことのない愛媛に思いを馳せていた。降り注ぐ太陽、目の前に広がる海、自然に囲まれ人々はおおらかで、そう、イタリアのシチリア島みたいなところなのではないだろうか。
まあ、これはよくあるイメージ。しかし、今や愛媛の個性はみかんだけではない。例えば、広島は尾道から愛媛の今治までを結ぶ「しまなみ海道」。七つ島と八つの橋を通る約60キロのこの海沿い道の周辺には、新しいカフェや宿泊施設、美術館などが並び、今までとは違う文化を生み出していると聞く。
ここはサイクリストの聖地でもある。橋上には、自動車道とは別に徒歩&自転車専用道路があるほか、しまなみ海道全体を舞台とした国際サイクリング大会が開かれたり、アメリカのCNNで世界7大サイクリングロードに選ばれたりしている。海の上を自分の身体で風を感じながら走るのはさぞかし気持ちがいいだろう。
と、ここまで書いたところで、偶然、旅先の友人からLINEで写真が送られてきた。レストランで撮られたらしく、カウンターの向こうにエプロンをしたシェフが写っている。昨年うちで料理を作ってくれた横田悠一シェフだった。友人とはファッションデザイナー丸山敬太さんで、しまなみ海道の島に旅行中だった。そこのレストランで横田シェフの料理を味わい、流れで私の話題になったというのだ。私がしまなみ海道についての原稿を書いている、ちょうどその時に。
横田さんとはSNSで知り合った。私と母の本を読んで、庭や裏山の野草を食べる私たちの暮らしに興味を持ち、一度話を聞きたいとメッセージをもらった。まったく面識もなく誰か紹介者がいるわけでもなく、正直なところ最初は戸惑ったのだが、短い文面に食への情熱と誠実さを感じて、鎌倉のうちにお呼びしたのだった。夏の初め、ワインと蜂蜜とお米を抱えて緊張しながらやってきた。港区で予約制のレストランを営んでいたが、コロナもあってそれを畳み、近い将来、完全に自給自足のレストランを開くべく、いろいろと準備活動しているとのことだった。秋には、うちに料理を作りに来てくれて、友達を呼び、みんなで楽しんだ。クレープの生地に秋刀魚の頭や内臓でとった出汁を入れたものや味噌味を利かせた鰹のたたきなど、フレンチをベースにした自由な発想の料理だった。
敬太さんとのLINEの後、久しぶりに横田さんに連絡をとってみた。瀬戸内海での暮らしを謳歌しているようだった。修行時代のフランス以外は関東から出たことがないので、いろいろなことが新鮮だそう。海に囲まれているので、釣りを始めて、自分で釣った魚で捌いて食べたい、出したいと弾んだ口調でいう。
ここ数年、都心を離れ、自然のそばで理想のライフスタイルにあった暮らし方を模索する人が増えている。海沿いであったり、山奥であったり、リゾート地であったり。そして、コロナ禍でリモートワークが主流となり、ご存知のように移住は大きなトレンドとなった。古いものを見直す新しい生き方暮らし方が定着している。愛媛もまた、そういう生き方暮らし方の大きな受け皿なのである。近いうちに、しまなみ海道を渡り、横田さんの料理を味わいに行ってみようと思っている。
- <作家プロフィール>
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- 甘糟りり子
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横浜生まれ、鎌倉育ち。大学卒業後、アパレル会社を経て文筆業へ。独自の視点を活かした小説、エッセイやコラムに定評がある。著書に『産む、産まない、産めない』(講談社文庫)、『鎌倉の家』(河出書房新社)、『バブル、盆に返らず』(光文社)など。
- メインビジュアル:しまなみ海道(写真提供:(一社)愛媛県観光物産協会)