空港にて。近未来を浮遊する
国際空港に漂う独特の浮遊感が好きだ。
その国の玄関なのにその国には属していないような空気があって、さまざまな国の時間帯が交差していて朝でもあって夜でもあって、行き来する誰しもが通りすがり。空港はそんなすべての事情を包み込み、でも、知らん顔をしている。
恥ずかしながら、私は二度ほど国際線に乗り遅れたことがある。パリでは免税品の手続きでもたつき、ロサンゼルスでは空港で返却するレンタカーの会社を間違えた。どちらの時もカウンターのスタッフにつたない英語と日本語を交えて泣きついてみたけれど、「No」と突き放された。しばし呆然としたけれど、少し経つと奇妙な解放感が湧き上がってきた。空港のあの浮遊感が少々破れかぶれな気持ちを肯定してくれた。
空港をディスティネーションにした旅をしてみたい。ホテルは空港の近くに取って、到着したら空港を意味もなくうろうろする。街に出ず、空港だけを味わって帰国するのもおもしろい。
いや、空港は一つの街といっていいかもしれない。そんなことを思ったのは「深圳宝安国際空港」を知ったから。
ネットサーフィンをしている時に偶然見つけて、しばらく目が離せなくなった。1991年に開港した同空港には、2013年に新しくターミナル3が出来上がった。そのターミナル3がすごい。基本設計を担当したのはマッシミリアーノ&ドリアナ・フクサス。アルマーニの銀座タワーの内装を手掛けたユニットである。「ぶっ飛んでいる」なんて気安くいいたくないけれど、その言葉がぴったりなのだ。無機質な白と銀色の物体が何か生き物のようにそこにあって、見るものの心を波立たせる。今から何かが起こりそうな気がする。
フクサスはこの空港について「マンタが深海から浮かび上がり、鳥に姿を変えて、空高く舞い上がる様子」とコメントしているそうだ。言葉だけ聞くと何をいっているのか意味がわからないかもしれないが、写真を見ると確かにそういう感じがする。
同空港の設計のコンペには空港設計の経験者だけでなく未経験者も招待された。マッシミリアーノ&ドリアナ・フクサスもその一つで、約40キロしか離れていない香港国際空港よりも、印象的なランドマークにすることが求められたと聞く。
香港といったら、『ブレード・ランナー』のモデルになった都市。1982年公開、リドリー・スコット監督のSF映画の金字塔といわれる作品だ。私は深圳宝案空港を見て、イギリスのSF作家JDバラードの作品を思い出した。『コカイン・ナイト』と『コンクリート・アイランド』ぐらいしか読んだことがないが、無機質な中に人間の渇望が滲み出てくるあの感触が頭に浮かんだのだった。
映画や小説で垣間見る近未来というのは清潔で機械的で合理的で必要以上に明るくて、進みすぎた文明によって人間の存在が小さく思えてきたりもして、それゆえに荒涼としている。
「中国のシリコンバレー」と称される深圳は住民の平均年齢はなんと32歳。65歳以上の人口はたったの2%という若い都市だ。かつては複製画の街として知られていたと聞くが(世界の複製画の六割が深圳で作られていたそうだ)、今やIT企業やドローンのメーカー、スマホのメーカーなどが立ち並ぶ。現在を生きる“近未来”という印象を受けるのは私だけだろうか。
- 作家プロフィール
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- 甘糟りり子
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横浜生まれ、鎌倉育ち。大学卒業後、アパレル会社を経て文筆業へ。独自の視点を活かした小説、エッセイやコラムに定評がある。著書に『産む、産まない、産めない』(講談社文庫)、『鎌倉の家』(河出書房新社)、『バブル、盆に返らず』(光文社)など。