太陽の味
鶏の卵管の刺身を食べたことがありますか?
私はそれを西麻布の焼き鳥屋で味わった。とろりとした食感、いくつもの味が重なり合ったような滋味、その中にかすかに感じる甘さ、食べるというより飲むという感じの喉越しだった。私はレストランについての本を出しているし、それなりにさまざまな店や味覚を経験してきた自負があるけれど、初めての味わいで驚いた。
L字型のカウンターに暗めの照明の店内、焼き鳥の鶏肉は串打ちではなく、炭火で素焼きするスタイルである。従来の「焼き鳥屋さん」のイメージをことごとく覆された。ペアリングの酒は一皿ずつ、ワインや日本酒、焼酎などが用意されている。
店主は宮崎県で養鶏場を営んでいたという。自分で育てたニワトリの鶏肉や卵を使った店を開業したところ大評判になった。都内からわざわざ食べに訪れる客も増え、東京に進出することになったそう。
新しく、面白いレストランの情報交換をしている知人が連れて行ってくれた。相当な数の食べ歩きをしているその人曰く「今まで食べた中で一番おいしい親子丼」。なるほど、親子丼も予想を上回る濃厚さだった。出汁は昆布や鰹ではなく、鶏肉を使っているそうで、知人の生涯ベストワンという感想も納得である。
食肉はストレスなく育ったものの方がおいしいと言われている。魚は締める際のストレスがない神経締めのものが重宝される。この焼き鳥屋さんの地鶏も大切に、そしてのびのびと育てられたのだろう。噛み応えがあってふくよかで、宮崎の太陽を連想させる味わいだ。
宮崎のマンゴーも忘れられない。初めて食べたのは二十年近く前だが、今でもあの衝撃をよく覚えている。家族でよく行く鎌倉のローストビーフのレストランのデザート・ワゴンに並んでいた。それまでマンゴーといったら輸入ものというイメージだったので、宮崎のものと説明を受け興味を持った。スプーンで口に運ぶと香り高い甘さが舌に染みた。これ以上ないぐらい熟していて、高貴な甘さといったらいいだろうか、上質な貴腐ワインを思い起こさせる。リキュールか何かをふりかけてあるのかと思ったが、マンゴーを切っただけだという。あっという間に平らげてしまった。
宮崎のマンゴーの一番の特徴は完熟して枝から自然に落下するまで収穫しないことだという。とはいっても熟して地面に落としてしまったら元も子もないので、マンゴーが熟してくるとネットで包み、その中に自然に落ちてくるまで待つ。決してハサミは使わない。それゆえに出荷されるものはすべてが完熟で、香り高い甘さが染み込んでいるのだ。
宮崎のマンゴーにはその名も「太陽のタマゴ」という銘柄がある。確かにあのマンゴーはまぶしい陽光をたっぷり閉じ込めた大きなたまごのようだ。
少し前のことだが、私はランニングやマラソンに夢中になっていた。とある女性誌からその様子を取材したいという依頼があって、撮影のために宮崎に飛んだ。さまざまな要素が重なった結果だが、ロケーションの良さで宮崎に決まった。太陽が降り注ぐ中、海を背景に走る私を撮ることになった。海にはところどころサーファーがいて、のんびりと波乗りを楽しんでいた。私の地元である鎌倉もサーフィンが盛んで、いい波が立つとサーファーがひしめき合っている。こちらのサーファーは贅沢だなあ、なんて思いながら走った。
宮崎は太陽の街。食べ物も人々も有り余る陽光とともに暮らしている。そんな印象を抱いている。ランニングへの情熱はやや冷めたけれど、のんびりサーフィンをしに行きたい。サーフィンの後はもちろん地鶏をたらふく、マンゴーを飽きるまで食べたい。たっぷりと太陽の味がするだろう。
- 作家プロフィール
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- 甘糟りり子
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横浜生まれ、鎌倉育ち。大学卒業後、アパレル会社を経て文筆業へ。独自の視点を活かした小説、エッセイやコラムに定評がある。著書に『産む、産まない、産めない』(講談社文庫)、『鎌倉の家』(河出書房新社)、『バブル、盆に返らず』(光文社)など。