蛸唐草(たこからくさ)の古伊万里
「いい街にはいい古本屋といい蕎麦屋がある」というのが父の口癖で、旅先ではまず古本屋と蕎麦屋を探したものだ。私は土地土地の市場やスーパーマーケットを覗くのが好き。スーパーマーケットにはその街の生活がある。
母は旅に出ると必ずその土地の骨董屋や古道具屋に足を運ぶ。使い古されたもの、時の経過を感じさせるものが好きで、元気な頃に器をずいぶんと買った。だからうちの食器棚には古い器が多い。どれも「骨董品」などという大げさなものではなく、昔の普段使いの皿がほとんどだ。
その中に、蛸唐草模様をあしらった菱形の器がある。古い伊万里のものだ。
蛸唐草とは、唐草の先に葉っぱがついている様を図案化したもので、それが蛸の足に見えることからこう呼ばれている。古い伊万里の定番の柄。内側に蛸唐草、外側には唐草、底には「松」と「竹」と「梅」が描かれていて、菱形の縁には小さな装飾が施してある。こうして書くとにぎやかなように思えるが、落ち着いた藍色と使い込まれた感じで決して派手すぎない。縦4cm、横13.5cm、高さ3cmで、それなりに重量感のある器だ。
母が昔、湯布院の骨董屋で見つけたものである。日本の古い食器は5個で1組だが、4個しかないという理由で少し安く手に入ったそうだ。
お客様用のテーブルは6人掛けなので、これをあと2個か3個、買い足したい。ずっと探しているのだが、なかなか見つからない。地元の鎌倉はもちろん、旅先でも古道具屋や骨董屋へは何軒も足を運んだが出会えなかった。ネットで検索しても写真すら出てこない。
自分のアカウントのインスタグラムに写真をアップして「どなたか見かけたらお知らせください」と文章を添えたところ、見つかりそうな店を教えてくださった人も何人かいらした。教えてもらった店に片っ端から電話をかけてみたが、揃って「蛸唐草の菱形は見たことありませんね」との返事だった。京都で一番大きい店は、寸法を測って写真を送ってくれれば、見つかった時に連絡をくださると申し出てくださった。早速、一限レフを抱えて撮影をした。
レンズを通して眺めると、より一層、この器の個性が伝わってくる。図柄も形も細部の細工も、その時代の創造性がたっぷり詰まったものなのだろう。これを大切にして、誰かに引き継がなければという使命感がわいてくる。こうした緊張感も古い器の醍醐味だ。
ずいぶん前のことだが、暮らしや食に関するエッセイを書いていた母は、ある女性誌で旅をして器を買いに行くという連載を持っていた。愛知県の瀬戸、島根県の出雲、山形県の酒田、愛媛県の松山、岡山は備前や沖縄の那覇も行った。行く先々で普段使いの器を買い求めた。
ところが、島根県の松江に行く直前、体調を崩した。慢性膵炎という診断で長く入院し、連載は中止になった。佐賀県の予定もあったが、母は行けずじまいだった。体調のこともあって、長い移動には尻込みするようになった。
佐賀は陶磁器の一大産地だ。唐津焼や有田焼、そして伊万里焼などで知られているが、他にも鍋島焼、白石焼、吉田焼、志田焼といった名産品がある。春には大きな陶器市が催されると聞く。そんな「器の街」に行けなかったことを、母は今でも残念がっている。
母は今年で88歳。できるだけのサポートをして佐賀に連れて行きたいと思っている。何しろ伊万里のお膝元だ。街の骨董屋を何軒か回れば、きっと蛸唐草の菱形の器も見つかるに違いない。甘いだろうか? 母と私が器の街に行ったら。買い物が止まらなくなりそうだ。
蛸唐草の菱形が見つかったら(いや、仮に見つからなくても)、古い器だけでなく現代の作り手の器にたくさん触れたい。その中には、私たちの暮らしで使っているうちに時間に馴染んで、風合いが出てきて、未来のアンティークにするべきものがあるはずだ。
- 作家プロフィール
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- 甘糟りり子
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横浜生まれ、鎌倉育ち。大学卒業後、アパレル会社を経て文筆業へ。独自の視点を活かした小説、エッセイやコラムに定評がある。著書に『産む、産まない、産めない』(講談社文庫)、『鎌倉の家』(河出書房新社)、『バブル、盆に返らず』(光文社)など。