チケットのない旅
見慣れぬ景色を見たり、初めて食べるものを味わったり、生活のリズムが変わったり。旅に出ると、必ず新しい何かを知る。そして、自分の可能性が広がった気がする。かつては、そんなふうに感覚を刺激されることこそ旅の醍醐味だと思っていた。
30代の頃、毎日のように原稿の締め切りがあった。雑誌はまだ世の中のメインの媒体で、私は週刊誌やらファッション誌やらさまざまな雑誌に連載を持っていた。遊ぶ時間は限られていたが、だからこそ旅では目一杯予定を詰め込んだ。
リゾート地にゴルフ旅行に行った時のこと。書き終わった原稿を編集部に送り、車を飛ばして夜遅く現地に着いた。翌日は早朝からラウンドの予定だったが、ちょっとした行き違いがあって原稿の書き直しを言い渡されてしまった。私だけラウンドをキャンセルして、部屋でワープロ(まだパソコンの時代ではなかった)に向かった。友達たちは慰めと励ましの言葉を残して出かけていったけれど、内心あきれていたに違いない。ひとりぼっちだし日常の雑事もなく、思いのほか集中できて、早く書き終わった。
ぽっかりと時間が空いて、みんなが帰ってくるまで宿泊施設内の温泉に浸ることにした。白濁したお湯に浸かっていたら、涙が出てきた。悲しかったのではない。悔しくもなければ、泣くほど嬉しいことがあったわけでもないのだが、じんわりと温まっていく体と解けていく心につられて涙が出てしまった。
あわただしい日常のくすみや汚れがすっかり洗われ、洗い立ての時間がそこにはあった。楽しげなことを山盛りにするのも悪くはないけれど、予定を立てないことって贅沢だと実感した。
それまでの私にとって旅は非日常を楽しむものだったが、日常の延長線上にある旅の良さを覚えたのだった。
食べる、寝る、お風呂に入る。今度3日間の余裕ができたら、これしかしない旅を計画しよう。移動と宿以外、何のチケットも買わない、予約もしない旅である。食事はふらっと入った食堂で家庭料理を食べるのが理想だ。まあ「食う寝るお風呂」に読書ぐらいはプラスしてもいいかもしれない。持っていく本は新しいものではなく、何度も読み返しているいくつかの小説とエッセイ。気に入っている本は読む時期や場所によって違う受け止め方ができるから。そう、日常の反復こそ発見の源だ。
福島の温泉宿でゆっくりするのがいいなあと思う。民謡で歌われている会津を始め、福島県内には136ヶ所の温泉地があって、これは全国で4番目の多さだそう。泉質が豊富で、宿を選ぶのにも迷ってしまいそうだ。
季節は冬。寒いのは苦手なくせに雪景色は大好きである。雪に囲まれた岩風呂で雪を感じながらお風呂に浸かる。空を見上げれば、きっと星が近くに感じられるはず。それを楽しむためにも、空気が澄んでいる冬に行きたい。
聞いたところによると、湯船に入浴するという習慣がある国は世界でも珍しいのだそう。水という資源が豊富なこともあるが、そもそもバスタイムがリラクゼーションのためという発想は他の国にはあまりないものらしい。MOTTAINAI!温泉は日本が誇るべき文化だ。
コロナで私たちの日常から消えていた旅行という時間が、やっと戻ってきた。私もパソコンも辞書も閉じて旅に出ようと思う。知らない自分に会うために。
- 作家プロフィール
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- 甘糟りり子
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横浜生まれ、鎌倉育ち。大学卒業後、アパレル会社を経て文筆業へ。独自の視点を活かした小説、エッセイやコラムに定評がある。著書に『産む、産まない、産めない』(講談社文庫)、『鎌倉の家』(河出書房新社)、『バブル、盆に返らず』(光文社)など。
- メインビジュアル:高湯温泉「大気の湯」(画像提供:福島県・高湯温泉 安達屋)